「グラン・トリノ」の高み
「チェンジリング」に次いでクリント・イーストウッドが放つ堂々たる秀作「グラン・トリノ」。両作品とも画面から放射される映画の「格」が、そんじょそこらの誰にも真似ができない地点にまで達しています。既に“Classic”です。 そしてこれが最後と囁かれる“俳優”クリント・イーストウッドが良いですねえ。あのノドの底から絞り出すかすれたうめき声みたいな発声といい、ニコリともしないガンコ親父っぷりといい、見事です。そしてウイスキーやビールの飲み方、タバコの吸い方、もちろん銃器(や工具)の持ち方が、いちいちサマになっています。ずいぶん笑わせてもくれるし。
本作はいつものイーストウッド映画の「暗さ」「陰」があまり目立ちません。確かに物語の暗部はあるのですが、全体のトーンはヒューマンな味わいに満ちています。後味も甘美なのが、ちょっと不思議です。 そして、作品の作りとしては「西部劇」ですよね、これ。頑固者の老ガンマンと、人生これからの少年、絶対的な悪者たち(“許されざる者”!)、その周辺の女性たち、正義とプライドと対決・・・。 イーストウッドにとって最後の西部劇とは「許されざる者」ではなくて、こっちと言うことができそうです。
それにしても本作といい「許されざる者」といい「アウトロー」や「ガントレット」といい、イーストウッド作品には女性が悪者にレイプされたり、顔を傷つけられたりすることが多いように思うのですが、ここらもやはり彼の暗部(まあ一番顕著な例は「タイトロープ」ですが)の表れではあります。「ミリオンダラー・ベイビー」だって、その変形ですしね。
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