「シルビアのいる街で」;至福の純粋映画
今まで当ブログでは作品の画像(スティル写真)を使って来なかったのですが、この作品の美女美男に関しては見てもらうことの説得力があるので、使ってみましょう。
映画『シルビアのいる街で』は類例の無い素晴らしさを持つ“純粋映画”であり、スクリーンを観ることがこの上無く心地良い作品でした。映画史に刻まれるべき秀作です。
いわば「視覚のヒーリング映画」です。ビクトル・エリセが本作の監督ホセ・ルイス・ゲリンのことを「現代スペインでもっとも優れた映画監督」と評したそうですが、さもありなんです。 カフェの風景が、フランス北部ストラスブールの清潔だが迷宮のような街並が、なぜかくも魅力的なのか。それはその風景に必ず人がいて、人の顔、人の個性、人の存在が、この作品世界を豊かにしているのです。 画面の端っこにいるホームレスの太った婆さんでさえ、この作品を豊かにしています。
主人公2人ともがこの上なく清潔感・透明感に溢れた美男美女で、画面に溢れる光が爽やかで、もうひとつ「音」の魅力が圧倒的です。街のざわめきや大気の音、食器やガラス瓶の音、会話、スケッチする鉛筆の音、そして足音。これらが見事にリアルかつ気持ちよく、映像ともどもいつまでもこの「シルビアの世界」に身をゆだねていたい気分にさせてくれるのです。もちろんこれらの音は気持ち良いのみならず、演出上も重要な役割を担っております。
延々と女性を追って歩き続けるシークェンスは、ヒッチコックの『めまい』やデ・パルマの『殺しのドレス』の如くで、しかしながらそれ以上に執拗に、甘美に、永遠に観ていたい名場面となっています。 いや、このコンパクト(85分)な映画の全編が、映像詩のような、いやむしろ俳句のような、味わい深い至福の体験と言えるでしょう。 本作の広告コピーは「見つめていたい。」です。それは主人公の男の気持ちであると同時に、映画を観る我々の思いでもあるのです。
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