「ネムリユスリカ」:先の読めなさと希望
映画『ネムリユスリカ』は、ちょっと類例のない感じの作品。性犯罪に遭った人間と、それゆえに生まれて来た娘の数奇な生を描く低予算のインディペンデント作品なれど、海外の3つの映画祭から招待されたことからもわかる通り、なかなかのクォリティです。そして「なんだ、これは?」って感じに、先の見えない設定と展開。性犯罪や被害者を追った社会派かと思うと違うし、復讐ものかと思うと肩すかしだし・・・。
舞台はどこと特定されないのですが、川沿い(荒川あたり?)の魅力的な、でも荒涼とした風景の町。映像はビデオの限界を逆手に取ったような、美しさと寒々しい無機質さが同居したもの。なかなか「いい絵」が撮れています。 河川敷に止められたヴァン、エレベーターの無い安ホテルなどがわびしくも心に刺さる風景となっている中、電車の鉄橋や道路橋がかかる川の眺めが美しくも荒涼としていて、あたかもキム・ギドク映画の川のよう(むしろグエムルが出てくる川か?)。
おじいちゃんのおむつ替えやら、大変な入浴やら、何もかもが即物的。やせっぽちの娘がおじいいちゃんを背負ってよろよろと階段を上るシーンは、映画史に残る名場面だと思います。なんだか、どのシーンも目が離せません。 映画としてフィクショナルな手垢のついた描写は成されずに、常に先が読めない感じなのです。
確かに「この先、どうなっていくいのだろう?」と、まったく終盤の展開がどっちの方に進んで行くのか読めませんでした。とても不思議な映画です。でも、クライマックスの片のつけ方は、ちょっと甘かったなあ。あそこだけ「映画」に逃げてしまったような・・・。
ただ、こんなにハードで悲惨な話なのに、ラストを含めてトーンは妙にニュートラル。いや、むしろ明るい希望を感じさせるものです。 彼女たちの受けた悲劇や過酷な運命と、それを乗り越えての再生ってことで言えば、あたかも東北大震災のメタファーみたいにも感じられるところですが、制作時期はきっと本作の方が先行していたはずです。それでもあえてそういう誤読をしてみたいような気にもなる、つまりそれだけ懐の深い普遍性のある作品なのだと感じました。『ネムリユスリカ』ってタイトル自体、乾燥して死んだようになっても、その後水を得て再生する蚊の一種なのだそうですから。
少女役の平野茉莉子は、透明感の中に不思議な強さがありました。
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コメント
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映画「ネムリユスリカ」制作 スーパーサウルス
投稿: 映画「ネムリユスリカ」 | 2011年12月13日 (火) 16時38分
わお!制作会社の方ですか。 どうぞどうぞご紹介してください。
投稿: 大江戸時夫 | 2011年12月13日 (火) 23時53分