「CUT」:直球すぎて気恥ずかしい
映画『CUT』はイラン人監督アミール・ナデリによる日本映画。大真面目なんだけど、なんとも珍妙な作品ではありました。
映画マニア(シネフィル)の西島秀俊が、借金返済のために殴られ屋としてひたすら殴られる」ってだけの映画なんですけど、そこに超「映画愛」をからませたところが、良くも悪くもユニークなところ。っていうか、決して成功しているとは思えません。
だって、あれだけ青臭くストレートにシネコン批判、「娯楽映画だけ」批判、芸術映画賞賛を叫ばれても、こちらとしては随分とむずがゆく、気恥ずかしく、なんだかたまらない感じです。そういうことは、もっと小さな声で語って欲しいと思います。
確かここでの西島には鬼気迫るものがありますし、ナデリのストイックな演出には、何かしら宿るものがあります。けれでもこの過剰に直球な映画愛は、あまりにも自慰的すぎて「芸術」に昇華していません。娯楽としても成立していませんし・・・そこが残念です。 若々しい常盤貴子はいいんだけどね。
(以下多少ネタバレあり) クライマックスの「映画100本」は、欧文のタイトルと制作年度のみ(ベストテンは画像付き)ながら、大江戸のようなシネフィルにはこたえられないところ。数えてたのに間違い無ければ100本中13本が日本映画でした。 第1位『市民ケーン』では、かの名作のフッテージも引用されています。 ああ、みんなも映画好きだったら、ちゃんと『市民ケーン』観てね。
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