「KOTOKO」:「春琴抄」になれなかったよ
塚本晋也の新作『KOTOKO』は、いつもの塚本以上に凄まじい世界。その映像と音響の暴力的でメタリックなパワーが、観る者をぐいぐい揺さぶります。
しかし本作で、よりパワフルなのはCoccoの狂気。これだけ直截的かつ詳細に、狂気の世界をさまよう人を描いた映画ってのも、なかなかありません。 それにしてもネガティヴな見地から総括してしまえば、「頭のおかしな人を野放しにしておくとアブナイ」ってことに尽きる映画になってしまうのですが、そこを映画的にギリギリ成り立たせていったところが、塚本とCoccoの力でしょう。まあ、観てるのがしんどい狂いっぷりですけど。
惜しむらくはKOTOKOが歌ういくつかのシーンでは、塚本演出がシンガーCoccoに引っ張られてしまって、KOTOKOの狂気が薄れていました。歌う時だけが彼女が狂気から逃れる時という演出なのかも知れませんが、あまりピンときません。それに、その場面だけ緊張感が薄れて、しかも長過ぎるように思えました(まあ小生が彼女のようなタイプのシンガーを苦手としているからかも知れませんが)。
小説家役で出演もしている塚本とCoccoとのからみが、『春琴抄』のような加虐と被虐のスリリングな「異形の純愛」関係に至っていれば素晴らしかったろうに・・・と思うのは、ないものねだりでしょうかねえ。あ、『春琴抄』だから「コトコ」か!
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コメント
TBをありがとうございました。
辟易するような、「異形の愛」・・・そうですねえ。
描写も、ちょっとくどすぎますね。監督の独りよがりも、あそこまで来ると、さすがに食傷気味です・・・。
個人的には、こういう作品には抵抗があります。
もっと、さらっとしたインパクトを持ってきてほしい気がしました。
投稿: Julien | 2012年5月 9日 (水) 10時54分
Julien さん、コメントありがとうございます。
まあ、あの過激さが塚本スタイルなので、変えろと言っても無理なのでしょうねえ。京のおばんざいをあっさり食べたい人が、カルビ丼とか出されちゃった感じでしょうか…。
投稿: 大江戸時夫 | 2012年5月 9日 (水) 12時42分