「女が階段を上る時」:映画が大人だった頃
今、銀座シネパトスで成瀬巳喜男監督の特集上映をやっているのですが、そこで今回初めて観たのが1960年東宝作品『女が階段を上る時』。 いやー、観終わって唸りました。成瀬作品を観るといつも唸ってしまいます、あまりの質の高さに。
こういう映画を観ると、半世紀前には映画がいかに「大人のもの」だったかがわかって、愕然とします。大江戸は決して「旧作オンリー派」などではなく、今の邦画を大いに愛していますが、こんなもん観せられたらひれ伏さないわけにはいきません。 大人の世界の中でも更に大人でディープな、銀座のクラブ(作中の表現だと「バー」)を舞台に、女と男の表や裏やあれやこれを冷徹に描き切ります。今は映画でもテレビでも絶対に作れない(作らせてくれないし、作れる人がいない)種類の作品です。 半世紀前の東京の風景も、小生にとっては見どころです。
女優も男優もしっかり大人。酸いも甘いも噛み分けた、人間の幅や重みがしっかりと、その顔や体や芝居に現れています。森雅之の凄さなんて!、今の誰にも体現できません。
加藤大介のエピソードなんかも、どんでん返しの凄味があって唸ります。やはり深いです、脚本・菊島隆三+監督・成瀬。台詞にはタフな人生の真実や、複雑な想いや、ぞっとする凄味が込められています。 そして終盤などは「凄味」のつるべ打ち。森雅之一家の出発を高峰秀子が見送るコワイコワイ場面とか、ラストの高峰の笑顔もまさに「凄味」ですね。 嗚呼、なんて「大人」な映画なんでしょう。
成瀬巳喜男特集@シネパトスは7月13日まで続きます。
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