「ミッドナイト・イン・パリ」:昔のアレンが演じたらなぁ
映画『ミッドナイト・イン・パリ』は、パリを舞台としながらも、まさにウディ・アレン“らしい”作品。スノッブなくすぐりで、微妙に笑わせてくれ(たりくれなかったりし)ます。
開巻早々たたみかけられるパリの街中のショットは、この街への憧憬に溢れていて、アレン・ファンなら誰もが「ああ、『マンハッタン』のオープニングのNYと同じだ」と思うことでしょう。それが「観光客目線」的なパリだとしても、それがアレンにとってのパリなのだから、それでいいのです。
この時間と空間と有名人の自由な往来は、アレン作品では『カメレオン・マン』とか『カイロの紫のバラ』とかに近い感覚。 1920年代のパリ・・・アレンの憧れの時代って感じですね。ちゃんと台詞でくすぐってくれるところもアレン流(ブニュエルのおける『皆殺しの天使』とかね)。
しかしながらオーウエン・ウィルソンが(小生には)ダメでした。アレンみたいなどもりがちの話し方、あたふたして物を取り落としたりしちゃう手つき、グレイのジャケットにチノパンツと、まさにアレンの身代わりとして主役を演じてますが、基本的に頭悪そう(失礼)なんだもん。 ここのところ、アレンが高齢で主役を張るのが難しいためか「あ、これアレンの役柄だよね」とわかる役をユアン・マクレガーとかラリー・デヴィッドとかいろんな人が演じてますが、いつも思うのは「ああ、これ若きアレンがやってたらなあ(がっかり)」ってこと。ないものねだりなのでしょうが、やはりウディ・アレンの個性は、誰にも真似のできないものなんですね。本作でも、「ソルボンヌで講演をするヒゲ男」にイチャモンつけたりするあたりは、アレンが演じた方がコンプレックスやら何やら複雑なニュアンスが出て、絶対面白かったろうなあと思いますもん。
でもまあ、アレンの「若いコ好き」を表したハッピーエンドが、気持ちの良い味わいになっておりました。
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