「少年は残酷な弓を射る」:不安で不快なサスペンス
映画『少年は残酷な弓を射る』は、観ている間ずっと「早く終わってくれえ!」と叫びたくなるような、怖さと不快さを持った作品。なぜこんなことが起こっているのかがわからないまま進行し、観る者の緊張と不安をあおりまくります。二度と観たくはないけれど、なかなか類例のないトラウマ系サスペンスです。
冒頭の奇祭「トマト祭り」の俯瞰から始まって、飛び散る血のような赤のイメージが全編を貫きます。壁の落書き、壁の地図に飛び散る絵の具、Tシャツの柄・・・、これらが惨劇を予感させ緊張感を高める、不快な仕掛けとなっています。あたかもホラーのように。 そういった仕掛けとしては、やはり不吉な感覚の三味線が音楽に使われていますし、一方でバディ・ホリーの“Every Day”をはじめとするストレートにハッピーな楽曲の数々が、対位法的に用いられています。
物語は時間を交錯させた回想形式で、徐々に徐々に全体像に迫っていきますが、終始肝腎の部分を覆い隠しつつ進行するので、観る者の神経は不安定なまま擦り減っていくのです(特に気の弱い小生などは)。まさに「宙ぶらりんの状態」=suspence ですね。.
(以下ネタバレあり) そしてやはり惨劇は起こり、物語は収束するのですが、結局のところ観る者の「なぜ?」は全く解決されないのです。これこれこういう理由で・・・っていう説明はひとつも無く、観終わってもさらに「宙ぶらりん」が続くのです。 そこがユニークでもあり、物足りなくもあるところです。 いちばん近そうな推測としては、「母の愛を切望し、母の注目と関心を独占したかった。それが極めて歪んだ形で表出した」といったところですが、まあこういう謎解きを持ち出さなかったことにより、陳腐化は避けられました。とはいえ、何にもナシってのもねえ・・・。そこまで全てを観る者に委ねるってのは、製作者側の「ネグレクト」ではありますまいか?
小生のごひいき女優ティルダ・スウィントンが、いつもながらのナーバスな好演。この人のおかげで、主人公のデスパレートないたたまれなさかげんが増しました。 少年ケヴィン役の3人の男の子たちも、それぞれに「いやーな感じ」マックスで、殴ってやりたいほど不快でしたし。 あー、胸苦しかった。
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