「ライク・サムワン・イン・ラブ」:キアロスタミ流「これが映画だ!」
キアロスタミが単身日本に乗り込んで、日本人俳優&スタッフを使って撮影した映画『ライク・サムワン・イン・ラブ』には唸りました。驚きました。まさにアッバス・キアロスタミにしか撮れないような作品です。誰にでも撮れそうでいて、誰にも撮ることのできない作品。
どこにでもいそうな人たちの足掛け2日の人生の断片に過ぎないのですが、その切り取り方の巧みなこと。イタリアで撮ろうが(『トスカーナの贋作』)、日本で撮ろうが、キアロスタミは人間を描き、人生を描き、それは普遍性を獲得します。物語を語ることの巧みさと決意があります。
それにしても、中盤以降徐々に高まる不安定な緊張感の凄さ。いや、それはそもそも冒頭からあったわけですが・・・。平穏な人生の脆さと、日常のタイトロープ性が浮きあがっていきます。そんなサスペンスを静かに淡々と描いていく、この名人芸。「映画」の魔法を見る思いです。
淡々とした日常的描写の中に魔が潜む感じ。人が心の中で思うことが交錯し、蛇行し・・・というような、ほんの微かな心理描写。ミリ単位のニュアンス。「小説ならできること」を、より繊細に、映画ならではの見せ方で紡いでいきます。
オーディションで選ばれた奥野匡、高梨臨、そして加瀬亮の3人が、それぞれの役を生きています。リアルです。 彼らだけではなく、胡散臭いでんでんとか本当にウザイ隣家のオバサンとかも効いています。
(以下ややネタバレあり) ラストで3人の人生は、それぞれ取り返しのつかないダメージを負ってしまうことが示されます。それを示唆して、皆まで描き切らないエンディング。見事です。 それにしても衝撃的なラストでした。
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