「希望の国」:ストレートなメッセージだが・・・
園子温監督の新作『希望の国』は、あくまでも“長島県”を舞台にしたフィクションなのですが、現代の我々に突きつけられた強いメッセージであることは確かです。
でもね、映画におけるメッセージってのは、ストレートに突きつければいいってものでもありませんよね。むしろ劇映画だからこそ、変形させたり寓話に仕立てたりという作業が重要であり、そのことによって客観的な普遍性が獲得できるのではないでしょうか。例えば『ル・コルビュジエの家』において、家と隣人との問題が領土問題のメタファーになっていたように。 本作みたいにそのままやっちゃうと、かえってマユツバになったりメッセージが弱まったりするような気がします。
園子温らしい、ヘンテコなギャグみたいな過剰表現がいくつかあるのですが、これは笑っていいのかいけないのか悩むところでした(神楽坂恵が妊娠したはいいが、放射能恐怖症になってしまい、防護服を着て暮らすあたりとか・・・)。 村上淳の異常なまでの家族愛(特に父親への愛)の強さにも面食らいます。車を止めて、走って戻って来て親父に抱きつくあたりは、ちょっとシリアスとは思えないほどの異様な描写でした(まあ、笑いました)。
真面目になって家族主義になった時の園子温が失敗した例を過去にも観ていました。『ちゃんと伝える』、あれも何だかストレートすぎて、面白くなかったなあ。むしろヘンな感じでした。 やっぱり彼には、狂気の中に正気と告発を紛れ込ませてほしいと思う大江戸なのでありました。その方がメッセージとしても効果的になるだろうと思います。
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