「インターミッション」:銀座シネパトスのフィナーレ
映画『インターミッション』は、銀座シネパトスの閉館記念作品。昨日から3月31日までのラスト・ショーとなります。
映画評論家でもあり、電通社員でもある樋口尚文氏が、この閉館記念作品を撮るというのは、映画好きの間では結構知られたニュースでした。小生も公開を心待ちにしていたクチですし、後から「エキストラで出たかったなあ」と思ったクチです。
終戦後に銀座界隈の瓦礫で三十間堀を埋め立ててできた、この三原橋(もともとは橋)暗渠の上かつ晴海通り下の魔界。シネパトス1~3の他に、飲食店や床屋が入っていて、カビ臭くタバコ臭く、なんともいかがわしいムードの「昭和レトロ」が匂う場所。
その昔は銀座地球座という洋ピンの映画館だった時代もありました。そういえば、この地下街には昔は大人のおもちゃ屋もありましたねえ。銀座の中の浅草、といった異空間でした&です。
公開2日目、日曜日の午後、頭上の晴海通りを東京マラソンのランナーたちが延々と走り続けている中、残念ながら客席の観客数は物足りないものでした。いや、それもまたシネパトスらしいところでしょうか。
で、肝腎の映画なのですが、うーん、何とも・・・。応援したい気持ちは一杯なのですが、ちょっと普通の映画の尺度で観ると、その雑さ、ゆるさに肩すかしを食うのではないでしょうか。 あの映画評論家としての樋口さんのクールで知的でスタイリッシュな雰囲気からいくと、随分テイストが違うものだと思わずに入られない作品となっています。
客席で観客同士が繰り広げる会話が積み重なって、本作を形作っているのですが、各エピソードの終わりに、白いスクリーンに「××監督作品 ○○○○ 19・・年」というタイトルが現れ、そのエピソードの意味を増幅させているようです。しかしながら、妙に作品がヨーロッパの、しかも超有名とはいえない作品に偏っていて、ちょっと気取り過ぎの感も・・・。そこに繰り広げられる滑り気味のコミカルなエピソードと、これらの題名が合わないんですよねえ。チョイスとしてはアメリカ映画がやけにないがしろだし、映画ファンでもかなりディープな人でないと観ていない作品名が多いように思います。
そもそも休憩中とはいえ、映画館の座席であれだけ大声でしゃべられたら迷惑も甚だしく、そこらへんも生理的なレベルで何か嫌な感じがしてしまうんです。
それと原発や放射能に関する、かなりストレートな言及にも驚かされました。うーん、直球・・・。
ラストなども意外性といえば意外性かもですが・・・、かなりすっとんでますね。まあ、そこらのアナーキーぶりがシネパトスらしいと言うこともできるのでしょう。まさに「映画って何でもありなのよ」という秋吉久美子の台詞通りに・・・。
ただ、この劇場独特のゴーッという地下鉄の通過音。これを使った場面にはニヤリでした。大江戸は「独自の風情として認める派」なのです。
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