「グランド・マスター」:映像美と肉体のバレエ、そして恋
映画『グランド・マスター』を試写で観ました。ウォン・カーウァイ6年ぶりの新作はなんとカンフー映画。とはいえ、やはり彼にしか撮れない独特な映像美の世界となっています。
冒頭の決闘シークェンスから驚嘆させられます。闇、雨、光、影と工藤栄一ばりのおぜん立てをした中に繰り広げられる肉体のバレエ。本作で扱われている「マーシャル・アーツ(martial arts)とは直訳すれば「武勇の芸術」ですが、まさにその通り。鍛えに鍛え抜かれた人間の身体のアクションが、磨き抜かれた美として心を奪います。
トニー・レオンが身を翻すと、パナマ帽のブリム(つば)から雨水が飛び散るハイスピード撮影のエクスタシー。アクションを支える足先のショットの数々(すり足、着地、方向転換など)。 そしてトニー以上に、チャン・ツィイー(『キネ旬』表記ですと、「ツーイー」ですね)やチャン・チェンのカンフー技がキレキレの迫力!普通の映画作りでは信じられない年月の練習を経てこその凄さです。 動き出した汽車の前での死闘などは、ツィイーの頭と車輪とのギリギリ感が迫真の凄まじさで、思わず身が固くなるほど。
しかしながら歴史の荒波に翻弄された人々を描く叙事詩であり、カンフー・アクション映画でありながら、終盤に至るや「恋愛映画」としての側面が急浮上してきて、いや、それがまた見事なんです。「哀しい女」の哀しい恋のほろ苦さと甘美さ。うーん、大人の味わいです。「好きに罪はない。ただ好きなだけ。」だなんて名台詞の応酬。戦争とその後の時代、ある意味腐れ縁的な薄幸さ。二人がなんだか『浮雲』の森雅之と高峰秀子みたいに見えてきました(どうでもいいけど、小澤征悦だとか竹中直人だとかピエール滝みたいな顔の人も出てましたね、この映画)。
梅林茂が音楽をやっているのですが、彼の『それから』のテーマが堂々と使われていたりしてびっくり。エンドロールを確認すると、その他に『壬生義士伝』(久石譲)や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(エンニオ・モリコーネ)の曲も使われていたみたいで、驚いちゃいました。
本作の原題は『一代宗師』で、英語題は『The Grandmasters』。なんですけど邦題は『グランド・マスター』。まあ複数形の“s”を省いちゃうのは日本語表記では普通のことですけど、一語の「グランドマスター」を2語にして「・」(ナカグロ)を入れるってのは、いかがなものかと思います。
| 固定リンク
コメント