「嘆きのピエタ」:驚愕のラスト
映画『嘆きのピエタ』は、心の病から隠遁生活に入り、『アリラン』を経て復活したキム・ギドク監督作品。寡黙さ、不可解さ、悪い男、暴力、痛さ、絶望、キリスト教・・・と、あのキム・ギドクらしさが還ってきました。
キム・ギドクの世界は常に「寓話」の世界。リアルではなくても、象徴性のパズルとして物語が進んでいきます。そんな中にリアルな暴力と痛みが差し込まれ、絶望の果てに聖なるものが見え隠れするのです。
母親と名乗るこの女は誰? いったい何のために?という真っ当なミステリーを軸にして、ギドク作品にしては異例なほど真っ当に展開していきます。高利貸しの取り立て屋という社会性も含めて、非常に真っ当な「見易さ」に貫かれています。
(以下完全ネタバレ) しかし、この映画はやはり驚愕のラストに尽きます。絶望と贖罪により、主人公が企てる自殺=自動車に引きずられ続けること、よって車の後ろには延々と人間の幅の赤い線が引かれていくという、鈍い悪夢のような描写。これぞキム・ギドク! 残酷で聖なる寓話性。 そしてこれで思い出したのが大昔読んだ「チョーク」という伊丹十三の小片。(確か伊丹本人がバイクに乗っていて、という設定だと思いましたが)その大きく重いオートバイが猛スピードで転倒し、車体と道路だかガードレールだかに挟まれたライダーがそのままチョークのように擦り減っていって、最後にはなくなってしまうという一文。うーん、まさにこれだよなあ・・・。
ところで先ほどギドクの誤変換で「偽毒」と出てきた時には唸りましたね。うーむ、深い。
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