「許されざる者」:プラス「詩情」が欲しいところ
映画『許されざる者』は、クリント・イーストウッド版をこの時代の北海道に置き換えたことによって、馬や荒野やテンガロンハットや銃や娼婦といった西部劇のアイテムが、無理なく日本映画の画面に収まっています。そこらのアイディアや計算は、結構うまくいってると感じました。
イーストウッド版も極めて暗い映画でしたが、品格のようなものが漂う作品でもありました。本作も健闘はしていて、真摯さは感じられるものの、品格とまではいかないかなあ。「刀」というものの性質上、妙に血なまぐさかったりもしますしね(銃関連でもかなり血なまぐさい描写がありました)。
キャスティングはうまくいきました。渡辺謙さんの大きさ、重厚さ。酒を遠ざけ続けていた彼が、クライマックス前に自ら酒瓶を口にするあたりの描写もお見事でした。 柄本明の顔のシワやかすれた声が物語るものは、モーガン・フリーマンにひけを取っておりませんでしたし。佐藤浩市は、肌のつやとか妙に若々しいのがよくなかったなあ。あの憎たらしさはうまいもんでしたけど。 國村隼さんもなかなか見せてくれました。
怱那汐里は顔に傷がついてもキュートで、しかも自然な良い芝居なんですよねー。 そして、映画の小池栄子って、なんでいつもこんなに素晴らしいんでしょう。表情も口跡も、そして身づくろいをするあたりの「慣れた動き」なんて、惚れ惚れするほどの見事さです。
骨太で、怒りの感情に溢れ、寡黙で、暗く、ラストの味わいが苦い・・・そこまではイーストウッド版に似ています。でも、イーストウッド版にはプラスして、えも言われぬ「詩情」がありました。そこが李相日監督、まだまだってところなんでしょうか。
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