村上訳「フラニーとズーイ」
J.D.サリンジャーの『フラニーとズーイ』を村上春樹が新訳したという新潮文庫を読みました。以前の野崎孝訳ではタイトルが『フラニーとゾーイー』でしたね。そこらへんは訳者村上さんの「好み」の問題なのだと、この文庫本の「投げ込み特別エッセイ」や新潮社の特設サイトにも書いてありました。サリンジャーは自分の著作に一切の解説やら追加要素を許さないので、このような変則的な形を取ったのだそうです。
何十年ぶりに読んだので、あらかた忘れておりましたが、スノッブであり哲学的であり言葉のアクロバット的であり、まあ実にサリンジャーなわけです。神童とうたわれたフラニーやズーイのダイアローグを読んでいると、ほとんどウディ・アレンの世界みたいな気もしてきます(まあサリンジャーもジューイッシュですし)。
とにかく短編『フラニー』→中編『ズーイ』へと読み進み、後になればなるほど加速度的にスピードがついてくるという不思議な物語です。設定が見えてくるまではちょっとしんどいのですが、『ズーイ』の途中でだいたいのプロットがセットされると、そこから後は面白くてどんどんスピードアップして読めるというよりは、物語自体が加速度をつけていくのです。
そしてあの聖なる、幸福なラスト。そこにある救済。よく文章でこういう境地を表現できたものだという、一種の離れ業です。もちろんそこは、サリンジャーが多くの悩みの果てにたどりついた境地でもあるはずです。
春樹氏同様小生にとっても、「こんなに面白い話だったんだ!」と再発見した世界なのでした。
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