「FORMA」:不快さと離れ業(わざ)
映画『FORMA』は類を見ない作品。不穏な空気が支配する日常が、どんどん悪意に満たされていく様が、とてつもなく不快です。しかし、それは途中まで。終盤の予期せぬ展開によって、今まで描かれてきたことが、観客の目にした事実が、全く違う貌(かお)を見せてくるのです。その離れ業に唸りながら、はしごを外されたような不安定さに茫然としてしまう作品です。
坂本あゆみ監督は、決してクロースアップを使うことなく、フルショットまたはロングショットで人物を捉えるため、主役の女性二人の顔がはっきりわからないほどです。それは意図的にそうしているのです。あまり顔の知られていない(しかも一般人的容貌の)女優を使い、その顔立ちすらはっきり見せないことによって、セミ・ドキュメンタリー的なリアル感と、視覚的なフラストレーションの両方を醸し出しています。
それにしても中盤までのリアルかつ悪夢のような「嫌な感じ」は凄まじく、観ていて「なんなんだ、このメンヘラ女は!」と恐怖と怒りを感じてしまいましたが、そうなるともう坂本監督の術中にはまってしまっているわけですね。
(以降ややネタバレあり) 全編にわたって長回しを多用していますが、終盤のクライマックスにおける固定カメラ24分の長回しは、ナマナマしい緊張と共に、観客の頭脳と心を揺さぶり、様々なことを考える時間を確保しているわけです。観ながら、「これまで観てきたことを疑え」と迫られるわけです。そのために余計な情報を入れないで、じっくりと映画がこれまで描いてきたことを反芻させてくれる、そのための固定カメラであり長回しなのですが、そんな手法なんて映画史上かつて存在したでしょうか?
あえて限定的に描かずに、いろんな解釈を可能にしたラストを含めて、ミステリアスで憂鬱な映画です。そこが女性監督らしいと言ってはいけないのでしょうが、西川美和監督などとも共通する坂本あゆみ監督の「底意地の悪さ」は、(海外でも評価されたことですし)今後の期待大と言って間違いないでしょう。
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