「滝を見にいく」:映画の血と肉が足りない
映画『滝を見にいく』は、おばちゃん(一部おばあちゃん)たち7人の山中での遭難コメディー。こういう時って、6人でも8人でもなく必ず7人なんですよねー。恐るべし『七人の侍』のDNA(?)。
沖田修一監督が「40歳以上の女性・演技経験問わず」という条件のオーディションで選んだという7人は、なるほど個性のバランスがなんかリアルで、誰もが「あー、いるよね。こんな人」って感じ。劇団員もいればド素人もいるってことですが、演技のレベルはほとんど同じ。でも、「ああ愛しいなあ、この人々」ってなるかというと・・・ならないんですよねー。
「7人が遭難して、ある結末を迎えるまで」という物語の骨の部分はあり、映画の形にはなっているのですが、それぞれのシーンを豊かにする「映画の筋肉」「映画の内臓」が足りないので、作品が骨と皮だけのように痩せているのです。腕のある脚本家がこのシチュエーションで書いたなら、もっと巧妙に、もっと面白く膨らませてくれただろうと思います。「えっ?それだけなの?」「なんか普通」っていう思いが渦巻きました。
ビジュアル的にも7人の普通のおば(あ)ちゃんたちというのは結構キツイものがあり、・・・でもまあ7人の普通のおじ(い)ちゃんだってキツイしなあ、などとも思い(『養老の瀧を見にいく』じゃないんだから)・・・。 そうだ!やっぱり7人の若い女性が遭難する映画がいいよねえ。それが自然だよねえ、と、身もフタもない結論に至るのでありました。あ、でもその昔『喜太郎の十五少女漂流記』なんて、どうしようもない失敗例もありましたけどね。
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