「ライアンの娘」:これぞ映画!の香気と感銘
第三回 新・午前十時の映画祭で、とうとう何十年ぶりかのリバイバル上映となる『ライアンの娘』(1970)を観ました。そもそも大江戸は、この午前十時シリーズを観ること自体初めてです。これまでの作品って、既に観ていて今更・・・とか、タイミングが合わないとか、休みの日に早起きは苦手だとかで、なぜか逃してまして。それでも、この作品だけは、久しぶりに絶対観たい! 劇場の大スクリーン(まあ中スクリーン程度でも)で観たいと思わせるものがあったわけです。
何度も観た傑作ですが、いやー、傑作は色褪せません。オープニングでモーリス・ジャールによる「ロージーのテーマ」が流れただけで、もう泣きそうになりました。序盤20分ぐらいの間に何度かある海岸のロングショットなんて、あまりの完璧さ、美しさに、涙がこぼれそうでした(驚くべきスピードで流れていく雲の影が砂浜に映っているなんて!)。これぞ映画です!
大自然の中にちっぽけな人間の営みを描く「全盛期の」デイヴィッド・リーン最後の傑作(その後の『インドへの道』は、ちょっとアレでしたから)。アイルランドの海(デジタルで再現された色の美しさ!)や森。嵐の海で漂流する武器を回収する場面のリアルな波の荒々しさ(CGなど無い時代ですから、死人が出てもおかしくないほど危険な撮影だったはずです)。
また本作の映像は雄大な自然のみならず、細かい所でも見事に映画ならではの表現を見せてくれます。結婚初夜にロージーが先にベッドに入り、天井のしみを見やるあたり、見事ですね。
話としては要するに「田舎の人妻不倫もの」なのですが、それをこれほどまでに香気溢れる映画に仕立て上げることができるのは、さすがデイヴィッド・リーンとしか言いようがありません。もちろんリーンだけの手柄ではなく、脚本のロバート・ボルト、撮影のフレディ・ヤング、音楽のモーリス・ジャールをはじめとする超一流のスタッフの貢献も大きいことは、言うまでもありません。
そして役者たち! 中でも神父役のトレヴァー・ハワードと村の愚者マイケル役のジョン・ミルズの素晴らしさには、深い感銘を禁じ得ません。神演技です。見てると泣きたいほどの感動が胸に迫る素晴らしさなのです。
3時間15分を格調高い物語として、通俗娯楽性も芸術性も満たしながら描き切るリーンの力量と英国の「物語」の伝統。ラストの含みと余韻も、神父の“I don't know. I don't know.”と共に、見事としか言いようがありません。人間の不可思議を描いた名作でもあります。(泣けりゃあいいってもんじゃありませんが)ラストあたりはやはり泣けますね。
オリジナルの上映形態どおり途中に5分のインターミッションが入り、スクリーンに「INTERMISSION」と出ておりました。今では見られませんもんねえ、これ。長い映画は1部と2部とか前篇・後編に分けちゃいますから。
うーん、やっぱり大江戸のライフタイム・フェイバリット外国映画ベストテンに入る作品であると、再確認することができました。
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