「アデライン、100年目の恋」:宇宙とか電気ショックとか
映画『アデライン、100年目の恋』は、「不老不死モノ」ではありますが、『ドリアン・グレイの肖像』にはなりませんでしたし、『永遠に美しく・・・』でもありませんでした。でも、このジャンル(あるのか、そんなの?)の宿命として、相当ヘンな話ではあります。何しろファースト・シーンとラスト・シーンが「宇宙」ですから。いやー、風呂敷大きいです。
だって、この物語で宇宙の絵なんか見せられたら、ほとんどパロディーですよ。しかももっともらしいナレーションで科学的ななんたらかんたらを語るあたりの胡散臭さと言ったら・・・、「はい笑う所」って感じじゃないですか。 え?笑っちゃダメなの?? 電気ショックってのも、笑っちゃダメ?
「時の流れの諸行無常モノ」(だからあんのか、そんなジャンル?)としては、『ある日どこかで』や『ベンジャミン・バトン』を思わせもするのですが、あの2作のような格調高さはないのです。そもそも時を超えて親子と関係してるって、結構ナマ臭い話ではありますよね。 でもまあハリソン・フォードの親父さん、自分が発見した星に「デラ」というアデラインの愛称(「叔母の名前から取った」という隠れ蓑を用意しつつ)を命名したってあたり、いかにもですけど男のロマンだなあ。
けれどこういう主演女優出ずっぱり作品って、その女優が好みかどうかってところも大きいですよね。本作のブレイク・ライブリーは全くのところ大江戸の好みではないので、愛すべき作品とはならなかったのでした。 「100年の時をかける愛モノ」(だから、あんのかソレ?)としては、小中和哉監督の『東京少女』の方が、ずーっとチャーミングで好きですね。だって夏帆ちゃんがかわいいんだもの。
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