「さようなら」:「ウルトラQ」の『虹の卵』だったとは!
映画『さようなら』は、なかなかにぶっとんだ、ちょっと見たことのない世界。アンドロイドを実写劇映画の中で自然に機能させる試みであり、それを通して形而上的世界を描く意欲作です。
とにかくアンドロイド(日本語、英語、フランス語を話す)のインパクトが大きくて、目を奪われます。で、「なんか見たことある顔なんだよなー」と思ってたら、思い出しました。『オー!マイキー』のマネキンに似ているのでした。リアルな風景や家屋の中で、動きがないのに、無表情なのに、流ちょうに話すあたりの感覚が、共通しているのです。 でも原案となった平田オリザさんの舞台劇で、アンドロイドが出て来て役者と芝居した時のインパクトはこんなもんじゃなく大きかったでしょうね。
終始、どうしようもなくホープレスな終末観に溢れています。それでも変わらぬ風や光線の美しさが描かれた映画でもあります。そして「時間」が描かれた映画。限りある人間の時間と、アンドロイドの持つ異なる時間軸。『ブレードランナー』(原作はP・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』)と2本立てにしてもらいたい作品です。
(以降ネタバレあり) 終盤の主人公が眠るように死んだ後、時の経過と共に徐々にミイラ化、そして白骨化していくさまをワンカットで見せる映像は、なんとも驚異的でした。そこに美がありましたし。グリーナウェイの『ZOO』を思ったりもしました。 深田監督としても、あえて「映画でやった必然性」を“署名”として残しておいたってところでしょうね。この前後の粛然たるシーンには滅びの美学が漂い、只ならぬものがあります。 でも、その後のラストはうまくいかなかったかなあ。観念の罠に落ちた感じでした。
ラストに出て来る「竹の花」と言えば、小生としては「ウルトラQ」の『虹の卵』を思い出すのであります。あっそうだ! あの話では竹の花+虹の卵で奇跡が起きて、車椅子のおばあちゃん(≒車椅子のアンドロイド)が立ち上がるのです。それだったか! 虹の卵とはウランカプセルのことで、まさに本作の冒頭で描かれる原発事故とつながっているではありませんか!
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