「セーラー服と機関銃 卒業」:環奈ちゃんに華はあるけれど・・・
映画『セーラー服と機関銃 卒業』は、角川映画の40周年記念作品の一つですが、結構地味な公開規模。まあ今の時代で、橋本環奈のアイドル映画っていうことでは、この程度なんでしょうかね。
前作から(なんと!)35年ってことで、設定やストーリーにはだいぶ改変が加えられています。ただ根本のところで、「なんで彼女が組を継ぐの?」ってところが納得できないんすけど。
篇中でも言われてましたけど、橋本環奈って(背が)小さいですねえ。思わず調べちゃいました。152cmですって。あのチビッコに見える深津絵里さんだって156㎝あるというのに。小さくて童顔で、高校生に見えません。むしろ子役時代の安達祐実にどんどん似てきてるような気がします。なのに声は結構ハスキーで、可憐ではないというアンバランスさ。しかしやっぱり「1000年に一人」かどうかは別として、なかなかの逸材。堂々たるスター性、つまり「華」があるのです。
でもこうしてみると、角川春樹さんって偉かったですね。相米慎二監督+田中陽造脚本って、トップアイドルの東映系正月映画で、よくぞそんなチャレンジングなことをしておりました。コンテンツではなく、「映画」を創ろうとしてました。当時の角川映画ってのは、おしなべてそんな感じでしたね。
本作では無難に前田弘二監督で、まあ当世のアイドル映画だから、こんなもんでしょって出来。映画ならではの味とか情感なんてものは、立ち上って来やしません。冒頭からヒロインにブリッジしながら懐メロ歌わせたり、新宿の路上でセーラー服のスカートをマリリン・モンローにさせたりみたいなムチャは、しておりません(まあ、今ああいうことやると、色々大変でしょうけれど)。
長谷川博己はやはり「昭和の俳優」っぽさを出してハマっておりました。彼に本格的なインテリやくざを演じさせたいですね。 武田鉄矢も危惧したほどクサくなかったので何より。
(以降少々ネタバレあり) エンドタイトル後の環奈ちゃんのゆかた姿と「カイ カン」は、ただのサービスカットだったので、なんかバカにされてるような、もったいない使い方でした。
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