「緑はよみがえる」:静かでリアルな戦場の恐怖
映画『緑はよみがえる』は、タイトルから受ける印象とは全く違う、渋い渋い苦渋に満ちた作品。作家の個人的思いが前編を貫く低予算作品の反戦映画ってことにおいて、塚本晋也の『野火』を連想しないわけにはいきませんでした。両作とも戦争の怖さを(違う方法で)見事に表現していることにおいても共通しています。
序盤はあまりに静謐で、台詞もささやくようで、間合いもやけに長くて、催眠効果十分でした。しかし、雪山に一発の銃声が轟いた瞬間、スクリーンの中の空気が一気に変わりました。ぞっとするほどリアルな戦場の空気へと一変したのです。 (以降ネタバレあり) 自分の目の前で人が撃たれて死んだという生々しい感覚と、次は自分かもという恐怖。『野火』の対極にあるミニマムな描写と音響で、戦争の恐ろしさ、残酷さを表現して見事です。
みんなが身を潜めている塹壕が爆撃される場面の恐怖も、これまでのどんな映画でも味わったことの無い種類のもの。砲撃の爆発音がリアルにリアルに迫って、しかもそれがだんだんと近づいてくる絶望的な恐怖感。待ってるしかない怖さ。いやー、これは凄いです。『プライベート・ライアン』とは180度違うやり方で、戦場の迫真の恐怖を味あわせてくれるのです(何回「恐怖」という言葉を使ったかな)。
また、自然の造形美を代表するようなカラマツの木が爆撃で炎に包まれる場面は、美しいものを全て壊してしまう戦争、神の作りし人間をも破壊し尽してしまう戦争の悪を示しているようでした。
こんな戦争映画(反戦映画)って、これまでありませんでしたね。鎮魂歌のような、祈りのような映画。しかも「敵」は最後まで見えません。それが暗示することもありそうですね。
76分という短さも、無駄が無くて素晴らしいです。1-0の勝利を最も美しいとするイタリアのサッカーみたいで・・・。
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