「だれかの木琴」:もやもやと不安&不快
映画『だれかの木琴』は、久々の東陽一監督作品。何とも嫌な感じが全編にわたって流れておりました。英語で“uneasy”って言葉がぴったり来ます。終始モヤモヤと不安かつ不快です。
その主たる要因は、常盤貴子のストーカーぶりにあるわけですが、彼女のみならず夫の勝村正信も相当ヘンです。内臓系の病気を疑いたくなるような顔色の悪さ、眼力の無さ、うわべだけで生きているような個の主張の無さ・・・非常に空虚な、「心の無い」人間にしか見えません。 池松壮亮だって、このストーカー主婦に対してやけに無防備というか煮え切らないというか、対応が拙劣です。
そして常盤貴子の「能面」を思わせる無表情の中の表情は、静かに怖いです。この何を考えているのか、狂ってるのか正気なのかわからない感じ。
(以降ネタバレあり) ただ、彼女が本当に執着していたのは若い美容師ではなく、夫だったという描き方は、あまり説得力がないなあ。え?何それ?? ウソでしょって感じです。
電車の中でみんながスマホをいじってる中に一人だけ位牌を撫でている人がいる描写だとか、夫婦が隣あっているのにスマホとケータイのメールで会話する場面とかは、やはり年寄り(=東監督)の(正直な)感覚だと思いました。 そして変な幻想シーンが挿入されるのにも、監督の年齢を感じました。日本の映画監督って、高齢になると変な幻想シーンを入れて、ズレてる感たっぷりに失敗しちゃうってことがよくありますよね。あれはなぜなんでしょうねえ?
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