「お父さんと伊藤さん」:モヤモヤと共感できない感じ
映画『お父さんと伊藤さん』は、そのタイトルに☆一つ献上したいですね(☆つけてないけど)。もし『阿藤さんと伊藤さんと宇藤さんと江藤さんとお父さん』だったら、☆☆☆☆☆って寸法です。更に進んで、『加藤さんと鬼頭さんと工藤さんと毛唐さんと古藤さん』とか『佐藤さんと志藤さんと須藤さんと・・・』、なんだかいくらでもできそうですね。
まあそこそこ面白いんですけど、なんかモヤモヤするというか、全編を通してわだかまる感じがありますね。そこがタナダユキ的というか、苦みの残る個性なのでしょう。やけにゆったりし過ぎた描写により、「間の持たなさ」感が迫って来ます。劇伴音楽の少なさも、それに拍車をかけます。なんか色々といたたまれない感じになるんですよねー。
とにかく藤竜也の「お父さん」が困ったちゃんでして、こりゃー疎まれて当然だよなーって感じ。一方長男も長女(上野樹里)も、世話する気もないくせにお父さんのやりたいようにはさせないという、偽善的人物でもあります。これではリリー・フランキーさんが「仕方のない人たちだなー。」と嘆くのももっともです。こういう「共感のできなさ」感はタナダ監督の近作『ふがいない僕は空を見た』や『ロマンス』にも共通するものです。 西川美和もそうですけど、女性監督ってのはシニカルな毒が持ち味の人が多いんでしょうかねえ。
長男の嫁役の安藤聖が、異質な芝居で良かったです。シリアスなんだけどなんか変で、目が離せない感じ。他のキャストに較べて地味なんだけど、大江戸的には一番目を引かれました。
それにしても、藤竜也が大事にしていたあの箱の中身が意味するものが、どうにもわからなかったなあ・・・。どういうことなんすかねえ?
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