「聲の形」:硝子の(マイ)ジェネレーション
映画『聲の形』が、まあ『君の名は。』ほどではないにせよ結構ヒットしているようで、ご同慶の至り。アニメーション映画の地図がどんどん塗り替えられようとしているこの頃です。
『けいおん!』にせよ『たまこ』にせよ、京アニっつーか山田尚子の絵は好きなのですが、本作では原作マンガとの折衷の中で、絵が魅力的になり過ぎないようなリアルな味を出しています。
タイトルにかぶせてTHE WHOの『マイ・ジェネレーション』。いやー、ザ・フー好きとしては、一気につかまれちゃいますね。 で、主人公である聾唖の女の子の名前は硝子(しょうこ)。当然、こわれやすい硝子(ガラス)ってことでしょう。 二つを合わせると、『ガラスのジェネレーション』。おお、佐野元春ではありませんか。歌詞のフレーズを引用すれば、「君はどうにも変わらない。悲しいけれど。」であり「ひとりぼっちのドアをノック、ノック、ノック。」であり・・・と、ちゃんと本作につながるのですね、これが。
(原作あっての事とはいえ)こういうメジャーなアニメ作品で「いじめ」というテーマに取り組むのは、意義深いと思います。しかも偽善にならず、説教臭くならずという微妙なラインを狙って、オフサイドになっていないってあたり、いい仕事です。 近年涙腺の弱い大江戸ですが、本作ではまったく泣けませんでした。こういう作品でそうなるっていうのは、むしろ難しいこと。「泣かせに走らない」冷静な視点ってことで、大いに評価できると思います。
先月観た『四月は君の嘘』がデジャヴだったかのように、学生服の少女が橋の欄干から川に飛び込み、続いて少年も・・・という場面がありました(阪神が優勝したわけでもないのに)。それがお笑いや怪シーンにならないのは、やはりアニメーションの特質。こっちは許せます。 (ちなみに、許せないあっち↓)
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