「未来を花束にして」:テロはダメでしょ?
映画『未来を花束にして』(それにしても甘々な邦題ですね。原題は“Suffragette”=婦人参政権論者の女性)は、今から100年ほど前のイギリスを舞台に、婦人参政権前夜の人々を描いた作品。スタッフを見てみると、監督のサラ・ガヴロンをはじめ脚本も製作もみんな女性です。まあこの作品なら、そうでなくっちゃね。
100年前ですから、日本で言えば大正時代なのですけど、主人公たちが酷使されている洗濯工場はかなり前時代的に思えます。洗濯板で手洗いしてるし。でも、大正時代なら日本だって当然そうですよね。 ただ、さすがはイギリス。女性たちが参政権を求める運動は日に日に活発化しておりました。
ほぼ出ずっぱりの主人公役キャリー・マリガンですが、あの「イノセントで幸薄そう」な顔が相変わらずいいですね。でもこの主人公、なんとなく引き込まれた運動の中で、どんどん過激になっていく過程がどうも不明瞭で、納得性に欠けました。夫や子供を天秤にかけてでも運動を選んだ理由が、どうも説得力を持ってきちんと描かれていないのです。
夫役のベン・ウィショーは、ユースケ・サンタマリアまぶしの長谷川博己といった趣きでございました。
(以降ネタバレあり) でも最後まで気になったのが、この人たちの過激派的行動。ショーウインドウへの投石、郵便ポストの爆破、別荘の爆破、ダービーでレース中のコースへの乱入・・・って、ダメでしょ。それじゃテロでしょ。普通に考えれば、そんな暴力を振るっている人たちの唱える事なんて、正しい主張とは思えなくなりますもん。却って運動を不利な状況に追い込むような気がするんですけどねえ。方法の選択が正しくないです。それで命まで落とすなんて、自爆テロです。 結果としては婦人参政権導入に至るわけですけど、この運動のおかげだったのかどうかまでは小生は存じておりません。むしろ落馬した騎手がどうなったかの方が気になった大江戸なのでした。
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