「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」:サイコパスとしてのジャッキー
映画『ジャッキー ファーストレディ 最後の使命』は、かなり異色の伝記映画。主人公であるジャッキーを、共感できにくい人物として描き、そのオブセッションを描き・・・ってことで、いわばジャッキーをサイコパスとして表現しているのです。これ見てるとやはり彼女って、(常に他人を見下げて接しているし、自分の要求は何が何でも通そうとするし、自分が主役で輝いてないと気に入らないし・・・)「自己愛性人格障害」だとしか思えません。
ケネディが撃たれた直後からスタートしている(まあ、その後に回想場面はいろいろ出て来るのですが)のも本作のユニークなところ。つまり暗殺事件だとか、ましてやジャッキーとケネディの馴れ初めや関係などどうでもよくて、あくまでも葬儀という「事後処理」に的を絞り、そこでの行動から彼女の只ならぬ人となりを描写していくことを主眼としているのです。そこから浮かび上がってくるジャッキーの「高慢ちきな鼻持ちならなさ」が作品のキモであろうとは! なかなか想像できない方へと進んでいく作品でした。
ナタリー・ポートマンはかなりの熱演ですが、基本的に全然ジャッキーとは似てないし、似せるつもりもなかったことでしょう。アップもやたらと多い中で、独演会状態です。 その分、JFK(キャスパー・フィリップソン)がやたらと(そっくりさん的に)似ています。 1月に亡くなったジョン・ハートも、神父役でいい味出してました(さすがに体調悪そうな顔つきでしたが)。合掌。
必要以上のクロースアップを多用する映像といい、予想を裏切ってジャッキーのダークな面を(意地悪なまでに)強調する脚本&演出といい、製作のダーレン・アロノフスキーならではのブラックな個性がにじみ出ています。この「居心地の悪さ」こそが身上なのでしょうね。
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