「フリー・ファイヤー」:アタマ悪くて工夫なし
映画『フリー・ファイヤー』は、上映時間90分のあらかたが倉庫の中での銃撃戦というバカみたいな映画。実際、脚本の方もバカみたいにワン・アイディア以上の工夫が無くって、演出もヘタで、かなりがっかりな作品です。いくらギャングがらみとはいえ、なんでスコセッシがこんなもん製作したのやら・・・。
銃の打ち合いに工夫があるわけでもなく、物語にサスペンスだとかトリッキーな展開だとかがあるわけでもなく、とにかく「アタマ使ってない」映画です。しかもそれぞれのキャラクターの特徴づけや描き分けがしっかり出来ていないうちに銃撃戦が始まっちゃって、そうなると人物なんて吹っ飛んじゃってるので、誰と誰がどんな感じで戦ってるのか?今、どんな情勢なのか?ってあたりが、さっぱりわかりません(似たような顔の奴もいるので、ますますわかんない)。
巻頭に「日本の観客への監督からのメッセージ」ていう文章が出るのですが、要するに「これを作るにあたってFBIの資料とか山ほど読んだら、人間は撃たれても簡単に死なないことが分かった。だから、そんな人間の往生際の悪さを描いてみた。」ってことでした。でもねえ・・・これじゃあ生きて過ぎだろー! しかも撃たれても、あんまり痛そうじゃないし。脚とか肩とか貫通してたら、もっと痛くて七転八倒するだろうに・・・。頭撃たれて生きてる奴までいる始末。ゾンビかよ。ってーか、ゾンビなら頭撃たれたら死ぬぞ。かと言って、それがお笑いになっているわけでもないんですよねー。困ったもんです。
これ、アメリカの銃擁護団体の方々に観せたら、どう思うんでしょうか? 「銃さえ無ければ」って思わせる効用だけはある作品なのかも知れませんね。それとも、これ観たところでやっぱり「銃は必要」って言うのかなあ。言うんだろうなあ。
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