「幼な子われらに生まれ」:荒井脚本とネオ浅野のお手柄
映画『幼な子われらに生まれ』は、やっぱり映画って脚本だよなーと思える作品。これまで大江戸が評価して来なかった三島有紀子監督が、荒井晴彦のホンを得て、見違えるような仕事をしてくれてます。家族を、人間を、きちんと描いた日本映画らしい日本映画の良作になっています。
一見平和そうな家族にひびが入り、崩壊へと向かっていく数々の描写が、リアルに丹念であり、ダイアローグが生きています。もうこれは、さすが荒井晴彦だとほめるしかありません。人間を深く見つめるまなざしが、映画ならではです。みんな不完全、みんなむしろダメな人、でもそれってあなたでもあり私でもあるでしょ、という踏み込み。これって、近年の映画には妙に欠けているんですけど、荒井脚本(まあ重松清原作によるものかも知れませんが)では、そこらを描くことこそが命題とばかりに攻めて来ます。そうです、大人だってみんな確信なんかなしに、これでいいのだろうかと悩みながら生きているのです。
でも大人たちに比べて、この映画の子供たちはリアルじゃないというか、何を考えてるのだろうかって所がありました。むし子供らの言動に納得がいかないと申しましょうか・・・。 急な和解もどきも、「そうなるかなあ?」って感じで、脳内の疑問符が消えませんでした。そこはややマイナスでした。
で、浅野忠信が、素晴らしいのです。普通のサラリーマンのバツイチお父さんなんですけど、その普通さの裏の感情の揺らぎだとか、小さな表現の喜怒哀楽だとか、ハッタリだとか、家庭内の役割演技だとか、そういったあれこれを繊細に演じて、これまでの「変人浅野」「怪人浅野」とは違う位相での名演となっています。これは評価すべきですね。
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