「追想」:興趣を削ぐブツ切り回想
1975年のフランス映画(ロベール・アンリコ監督)『追想』(デジタル・リマスター版)の41年ぶりのリバイバル上映を、新宿シネマカリテで観ました。カリテさん、『戦争のはらわた』といい本作といい、「なんでこれを?」ってところを突いて来ますねえ。そういうの、いいと思います。でも、『戦争のはらわた』の時と同様に、館内の温度が異常に寒くて、後半はパーカのフードを首に巻くようにしたり、腕をさすったりしておりました。いつ来てもやたらと寒いシネマカリテ、もしかしたらその寒さで女性客を逃したりしているんじゃないでしょうか(男比率高いし)?
(以降ややネタバレあり) この作品、大江戸は初めて観ましたが、かなり変ですよね。そもそもフィリップ・ノワレが復讐劇のアクション・ヒーローってとこからして変なんですけど。ナチスの兵士たちがかなり愚鈍に描かれているってのも、リアリスティックじゃないというか、「ナチスなんだから、無能な悪役として描いときゃいいや」感がにじんでおります。あれだけ兵士がいて、中年太りでハアハア言ってるフィリップ・ノワレ一人倒せないなんて、(いくらシャトーの構造を熟知していると言っても)アンリアル過ぎます。
そもそも主人公(ノワレ)がお医者さんなんだから、薬品を使うとかメスを使うとかして復讐させるなら、まだ職業的アドヴァンテージによって敵より優位に立てたってできますけど、そんなこともせずに古い銃ですもん(近眼&老眼だろうに)。あ、ちなみに原題は“Le Vieux Fusil”(古い銃)です。
しかもこれ反戦映画ではなくて、単に復讐娯楽劇を成立させるためにナチスを出してる感じがプンプン臭います。
そして映画の作りとして一番問題なのは、『追想』という邦題の示す通りやたらとブツブツ回想シーンが挿入されること。復讐劇の流れが分断され続けて、興趣を削ぐこと甚だしいのです。またかよ?って、イラついちゃいます。その上、その回想ってのが、やたらと甘ったるくてねえ。もう、映画としてダメダメではありませんか。なんでそこそこ評価されてるのかなあ、これ?
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