「あゝ、荒野 後篇」:またもや失速の後篇
映画『あゝ、荒野 後篇』は、あの素晴らしかった前篇の続きだけに楽しみにしておりましたが、うーん、何か別物のように魅力が薄くなっておりました。いったいどういうことなのでしょうか。本作をもってしても、日本映画の「前・後篇ものは、後篇でガクッと落ちる」というジンクス(?)が崩せなかったようです。
つまらなかったわけではありませんし、ボクシング場面の迫力などは十分でした(ただあそこまでになる前に、レフェリーがドクターストップかけますよね・・・)。やはり前篇ではヴィヴィッドだった登場人物たちの人生のドラマが、後篇ではどこかに行っちゃったり、類型的な辻褄合わせに終わったりで、何とも残念なのです。その分、ボクシングの試合シーンはたっぷりと時間を取って、迫力十分にやってますけど、映画ってのはそれだけじゃあ弾まないんですよねえ。
菅田将暉とヤン・イクチュンはしっかり鍛えて、しっかりボクシングを演じていますが、それでもやはり胸板は薄いし腕は細いです。でもそこは、映画の魔術も合わさって、迫力のある痛さを感じさせるようなファイトとして提示されています(まあ、屋久島の森みたいな場所に滝があって裸女がいるという、パンチを食らった時の幻想は苦笑ものでしたが)。
ボクシング場面における菅田の凄さは、「山本戦」では憎しみと怒りの狂気を前面に出しながら、「バリカン戦」では愛と喜びの狂気になっていること。それをどちらも只ならぬ熱量で演じておりました。以前より天才肌の演技者ではありましたが、ここで一つの到達点を示したと言えるでしょう。
後篇だけで2時間27分もあるのに、多くの登場人物の落とし前(結末)がきちんとつけられていないのが、物足りない点です。一方では1時間半ぐらいにしか感じられぬほど、ダレずに見せ切ってはいたのですが・・・。 前篇にあった未来的な要素もどこか行っちゃって、単に’60年代の匂いだけが残ってましたし。
(以降ややネタバレあり) エンディングなんかますますもって、『あしたのジョー』でした。っていうか、梶原一騎が寺山の『あゝ、荒野』を色々とパクったのでしょうけどね。
(前篇の評はこちら↓)
http://oedo-tokio.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-375f.html
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コメント
同じく、後篇は失速気味でしたね。
熱い男の闘うドラマとしてはいいんですけど、
親子関係がぺらぺらになっちゃいました。
みんな観戦してるんだけど、
その絵だけじゃ何にもわかんなかったです・・・
投稿: kossy | 2017年11月12日 (日) 18時53分
Kossyさん、どうも。
その通りです。残念なことです。
投稿: 大江戸時夫 | 2017年11月12日 (日) 20時57分