「オトトキ」:「普通」と矛盾
映画『オトトキ』は、ザ・イエロー・モンキーの復活を追った2016年から1年ちょっとのドキュメンタリー。50代に入ったイエモンを撮るのが、彼らより10年ほど年下の注目株・松永大司監督だけに、只ならぬ化学変化が起きるかもとも思ったのですが・・・。
意外と「普通の」音楽ドキュメンタリーでした。ツアーに密着して、オンステージとバックステージを撮り、ファンの人たちにインタビューして、バンドの足跡を追い、メンバーや関係者にもインタビューするという、ごく真っ当な作り。
まあ、普通じゃないのはこの映画のために、無観客の渋谷のライブハウス(ラ・ママ)で行った演奏ぐらい。無観客なのに吉井和哉のMCまで入れて、そこらへんがとてもやりにくそうな感じで、観客に囲まれたライブの熱狂とは違う「冷えびえ感」が出ていて、うーん、何のためにこれやったの、松永監督?って感じでした(いくら彼らのバンド活動の原点と言える場所とはいえ)。
あとは、ツアー中に菊地兄弟の父親が亡くなったとかで、そのあたりのインタビューもやや長過ぎでしたねえ。映画のリズムが停滞してしまいました。
(以降ネタバレあり) 映画のクライマックスになったのが、ニュー・イヤー・ライブで吉井の声が突然出なくなってしまったアクシデント。あまりのデスパレートな状況下におけるスタッフたちの「うわー、どうしようどうしよう」感があまりにもスリリングで、手に汗握る場面となっておりました。しかしここも最後が妙にうやむやで・・・。で、どうなったんですかい?って感じ。
再結成ステージの1曲目を、メンバーの演奏は(シルエット程度にしか)写さず、ほとんどファンたちのリアクション描写で埋め尽くしたように、松永監督には、「普通の」音楽ドキュメンタリーを作る気持ちは無かったのでしょう(『オトトキ』ってタイトル自体、かなり妙です)。でも冒頭に記したように、音楽ドキュメンタリー映画としての構造は非常にオーソドックスです。その一方で、ファンにしてみれば「もっとライブをしっかり(普通に)見せてほしい」と思ったのではないでしょうか。映像作家の創意とアーティストのベクトルが合わなかったというか、いろんな矛盾を抱え込んだ作品になっておりました。
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