「ニッポン国VS泉南石綿村」:長さの効果
映画『ニッポン国VS泉南石綿村』は、あの原一男監督による大阪・泉南のアスベスト被害者たちのドキュメンタリー。その歴史や病の状況についても描かれますが、日本国を相手取った裁判が大きな柱となっています。映画内の時間も長大ですし、映画自体も3時間35分という長尺(15分の予告編と10分の途中休憩を入れると4時間コース)。ただ、その制作期間&上映時間の長さだからこそ描けるものもあるのです。
制作期間の長さに関しては、その日々の中で患者たちが次々と亡くなっていく事実の積み重ねが、この事件の深刻さ、重大さを訴えます。更には、長年にわたって変化していくこの人たちの顔を見ることが、親戚効果というか友達効果というかを生むのです。描かれていることが他人事じゃなくなっていく効果があるのです。
また上映時間に関しては、フィクションではなくドキュメンタリーなので、観客と映画内の人々とが地続きになっていきます。一般人である観客と、一般人である泉南の人々が、たっぷりとある映画の時間の中で同化していくのです。だからインタビューで延々と話していた人の死去が字幕で伝えられるたびに、「あぁー」とか「えぇー」とかリアクションする観客もいたりしました。
群像劇的なドキュメンタリーなのですが、「人物図鑑」としての面白さがかなり大きいと思います。この人物はあの人に似ているとか、自分をあてはめるとしたらあの人タイプかなあとか・・・。相当いろんなタイプを網羅していると思いますよ。
終盤で、最高裁で勝訴した後の原告団と厚労省の役人との不毛な攻防を描いた場面には、官僚組織の非人間性に改めてあきれると同時に、仕事とはいえ役人大変だよなあと思わないわけにはいきませんでした。前線の(下っ端の)彼らに、汚れ仕事を強いているこの「システム」って、どこまで強固なんだろうと・・・(財務省の佐川宣寿氏の答弁とダブるようで)。
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