「パンク侍、斬られて候」:アナーキーさも今日的にマイルド
映画『パンク侍、斬られて候』は、かなりアナーキーです。町田康原作×宮藤官九郎脚本×石井岳龍監督×綾野剛主演という組み合わせだけでも、かなりアナーキー(あるいはパンク)なものが出来上がる匂いがしますが、東映配給でかなりのスクリーン数で公開する割にはぶっとびまくっていて、製作のエイベックスさん、かなり胎(はら)が据わっていらっしゃいます。
衣装から台詞から現代的で、というかわざと考証なんか無視しちゃってるわけです。クドカンがらみで言えば、『大江戸りびんぐでっど』みたいなもんですね。そういった自由でおバカなノリが、中盤以降は狂乱のアクションや、話す猿のシュールさで、どんどんレールを踏み外して行きます。ここらが石井岳龍だなあ。でも石井聰亙名義の時代だったら、もっと映画をぶっ壊してくれていたんでしょうねえ。
とはいえ、この時代に、しかも還暦を過ぎた映画監督(石井は’57年生まれ)にそこまでの蛮行を期待するのは無理というもの。役者の狂いっぷりや、カメラの暴走などに、時を超えた「らしさ」を感じさせながらも、きっちりした「商品」に仕上がっておりました。だけど、突き抜けきれなかったうらみは残りますね。腹ふり党の群舞場面などは悪くなかっただけに、そこをもっとインド映画のように弾けさせて欲しかったところです。
このふざけた顔ぶれの中で唯一生真面目な堅物を演じた東出昌大(この人、やはりこういうキャラクターだと生きますね)には、けっこう笑わせてもらいました。
幻想的に赤く染まった空に綾野のシルエットが浮かび上がるカットは、あたかも中野裕之の『SF サムライ・フィクション』のようでした。こういうケレン味のある絵をもっと見たかったなあ。
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