「追想」:苦しき場面が多かりき
映画『追想』は、昔のハリウッド映画にも'75年のロベール・アンリコ監督作品にも使われていた邦題。原題はそっけなく、"On Chesil Beach”。
主演は、何かこの人が出てると同じようなテイストになっちゃいますねえ、のシアーシャ・ローナン。大江戸はこの人もこの人の映画も、割と苦手かも知れません。 どうでもいいけど、「Saoirse」で、シアーシャですよ。普通読めませんって。
'62年のイギリスって、(階級によってはでしょうけれど)、ここまで古風でお堅い世界だったんでしょうかねえ?まあ、ビートルズが『ラヴ・ミー・ドゥ』でデビューしたのが同年10月のことですから、この時点ではまだ「夜明け前」だったのかも知れませんね。階級という考え方も、とても強固なものだったと思われます。それは映画からも示唆されています。
それにしても、観ていて楽しくはない映画です。後半は苦しい場面が多いです。クライマックス?の諍(いさか)い場面なんかは、ぞっとするほど破滅的なものがあります(男の「禁欲ギレ」にはちょっと笑えたけど)。あー、いやだ。その後の展開も、エピローグ的な部分も、決して明るくはありません。全体的に、(時代に関係なく)男の方にも女の方にも共感できません。
こういう映画を作ろうとする人って、どういうモチベーションなんでしょう? けっこう不思議です。小生なら、わざわざ大金を使ってこういうもの作らないけどなー(そりゃあ人それぞれですけど・・・)。
そもそも邦題の通り、ちょっと物語が進行するとすぐに回想シーンになってしまうというブツ切れ展開なので、なんかフラストレーションがたまります。これ、まさか主人公たちのイライラを観客にも伝えようっていう手法じゃあないですよね?
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