「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」:演出の力量と物語の厚み #バッド・ジーニアス
映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』は、タイ発のスーパー・エンタテインメントにして社会派の良作でもあります。タイ映画っていうと、ペンエーク・ラッタナルアーンとかアピチャッポン・ウィーラセタクンぐらいしか知らないけど、本作の監督ナタウット・ピーンプリヤも、その名を覚えておくべき存在でしょう。37歳の俊英です。
とにかく剛腕なほどの演出力があるのです。いくらなんでもそりゃ無理だろーってツッコミたくなる作戦なんですけど、しっかり「絵」にしてサスペンスを盛り上げながら、何がどうなっているかをわかりやすく見せるスキルがあるのです。必要なカットが過不足なくあって、そのモンタージュの秒数が的確で、決して自己満足的なカッコつけはしないのです。ハリウッドに渡っても、すぐ売れっ子になりそうなほどの力量です。 そして、もちろん(監督を含む3人チームによる)脚本がよく出来ているんですよー。
タイの藤野涼子みたいな天才主人公と、タイの長谷部誠みたいなもう一人の天才くんの葛藤--それは貧富の差、階級差に基づくものなのですが--が、この映画に娯楽以上の深みをもたらしています。社会批判と倫理的な問題により、時を超え国を超えた普遍的な厚みを持った作品となりました。
タイの男子高生たちって、みんな半ズボンなんですね。小学生の男の子みたーい。でも暑いんだから、当たり前か。
結末は非常に倫理的かつ教育的で、素敵です。そして主人公の父親が、いい味出しておりました。
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