「メアリーの総て」:現代につながるテーマ #メアリーの総て #エル・ファニング
映画『メアリーの総て』の原題はシンプルに“Mary Shelley”。なのに、「総て」って言われちゃうと・・・、しかも「すべて」や「全て」ではなくて「総て」だと、映画ファン的にはジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督の『イヴの総て』を連想してしまうのですが、内容的には何の共通テーマもありません。こちらは19世紀のイギリスを舞台にした若きメアリー・シェリーの物語。そこに詩人シェリーやらロード・バイロンやらが絡んでくるのですね。
このパーシー・シェリーが、かなりの「だめんず」というか、顔はいいけど生活と性格が破綻している人でして、時代を超えて「こういう人いるし、こういう人に入れ込んじゃう女性もいるんだよねえ」って感じ。小生は朝ドラ『半分、青い。』の「りょうちゃん」(間宮祥太朗)を思い出しちゃいましたよ。
まあ(時代のせいもあり)彼に限らず、出て来る男にドイヒーな人が多くて、だからこそメアリーの父親のアティテュードのカッコ良さが心に残ります。
とは言え、やはりこれはエル・ファニングを見る映画。エルは以前より大江戸好みでありますが、ここでは一段と女優としての成長を見せております。いろんな顔を見せております。
普遍的な話を描いていると思ったら、終盤に至るやかなり現代的なテーマや作り手の強いメッセージを打ち出しており、それは映画の力にもなっております。女性を抑圧し続けて来た男性優位社会への抗議と、行動する女性への応援です。古風な身なりをしながらも、実は今作られるべき作品として、輝いています。エンドロールを見ていると、監督・脚本・音楽をはじめ製作スタッフに女性が多いようです。そのあたりも、この作品の性格を表していると思いました。
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