「ウィーアーリトルゾンビーズ」:奇抜な映像を超えて心に響く #ウィーアーリトルゾンビーズ #長久允
映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』は、ナメてたら、いやいやどうしてマジ優れた作品でした。外見から判断して、騒々しいアマチュア的脱映画の実験かと思ったらさにあらず、周到で緻密なプロの仕事なのでした。新しい時代の映画であり、かつ普遍的な芸術にもなっているのでした。ちょっとびっくりです。デジタル・ネイティヴ世代のヌーヴェルヴァーグといったところでしょうか。
そもそも両親を(事故やら殺人やらで)喪った4人の子供たちの物語ですが、何そのシチュエーション? でも、それを記号的に乗り越えて、映画として成立させています。死の扱いとかはやけに不謹慎です。でもそれは周到な狙いですから。そこらのヤバさゆえに、時代を切り裂く作品になっていると思います。
不謹慎といえば、この子らの言動のいちいちが不謹慎なんですけど、それは「反抗」であり、反抗こそは映画の新時代を更新し続けて来た原動力ですからね。うーん、デジタル・パンクだ。あえて時代遅れのビット数の少ないレトロゲームをモチーフにしてるあたりも、狙ってパンクです。
でも映画作品としてのクォリティはしっかりしていて、映像、色彩、衣装(writtenafterwardsの山縣良和)、音楽などみんなMVばりに凝ってます。長久允監督は電通でMVなんかも作ってたそうですからね。
だからか、同じCM出身監督の大林信彦の初期作品(『HOUSE ハウス』とか)や市川準の『ノーライフキング』を思い浮かべたりしてしまいました。ひとつひとつの映像の凝り方、クォリティが、その出自を表しているのです。しかも、奇抜な意匠だけの無機質な作品になっているのではなく、ちゃんと心に響く作品になっています。ラストのあたりは結構感動させてくれますよ。虚無からハートフルへ。
あの曲もなんだかクセになりますねー。
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