「女たち」:映画的に語れていない #女たち #篠原ゆき子 #奥山和由
映画『女たち』は、チーム・オクヤマの25周年作品なのだそうですが、うーん、奥山和由プロデューサーも最近復活して小さな映画をいくつか世に出しておりますが、『銃』とか『エリカ38』とか大江戸的には高く評価できない作品なんですよねー。そして本作、やっちまいました。いろいろと崩壊しとります。
何と言ったらいいのか、映画らしいコクがないんですよねー。とにかくいかにも映画らしい設定は用意されているのですが、そこから「映画」として躍動していかないとうか、映画的に語れていないのです。語れていないのか敢えてなのか、いくつかの謎をほったらかしにしていたりもしますし、なんか脚本が、それ以上に演出が、真っ当な映画のレベルになっていないのです。映像もことごとく「つまらない絵」になってしまってます。全体的に音楽がありきたりすぎる(説明的すぎる)のも困ったものでした。
(以降ネタバレあり) クライマックス的な回想場面が突然演劇的になって、そこだけ浮いてます。その後に来る終幕の突然過ぎる和解なんか、ぜんぜん納得できません。あれで、にっこり笑い合ってめでたしめでたしではねえ…。何それ?
バイプレイヤー篠原ゆき子を主役に持ってきたところが大胆ですが、成功していたとは思えませんでした。申し訳ないけれど、この人の顔ってなんか「共感を呼ばない顔」なんですよねー(そういう意味では『ミセス・ノイズィ』の彼女は似合ってました)。髪を短くした倉科カナは、妙に影が薄くて残念。でも、顔や体が麻痺している役の高畑淳子は、見事な熱演でありました。
『茜色に焼かれる』に近いほど、コロナ禍下でのマスクや消毒の描写が多く出て来ました。しかしながら、みんな話す時にマスクを外したりずらしたりして、そのアンリアルが気になりました。映画は「時代の証言」として後世まで残る記録媒体でもあるだけに、そこらへんはリアルにやってほしいものです。
ちなみに本作、タイトルやポスターから判断すると、LGBT的な作品なのかと思いきや、まったく関係ないのでありましたー。
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