「謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか」:驚愕の名探偵的文学評論 #謎ときサリンジャー #竹内康浩 #サリンジャー
新潮選書の『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(竹内康浩 朴舜起)は、なかなか刺激的な文学評論でした。帯に書かれた文章を見ても、興奮すべき一冊だということがわかりますよね。
著者二人はアメリカ文学者にして北海道大学大学院助教授の竹内氏と、北海道大学大学院生である朴氏。そして果敢にチャレンジしたのは、J.D.サリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』冒頭の『バナナフィッシュにうってつけの日』のラストで拳銃自殺したと思われていたシーモアの死への疑問提起。果たしてそれは自殺だったのか? そもそも死んだのはシーモアだったのか? そして、その現場にはもう一人の男がいたはずだと言うのです。
ほとんど「たわごと」です。でも、読者はすぐにそれがたわごとではないことに気づかされます。そして、そこからは多くの「証拠」と大胆な推論に驚きあきれながら、ページを繰っていくことになるのです。作品も『ナイン・ストーリーズ』の最後の作品『テディー』をはじめ、サリンジャー最後の発表作『ハプワース16,1924年』などにも飛び、最後には『キャッチャー・イン・ザ・ライ』につながっていきます。その魔術的展開は、スリリングそのものです。評論ってもんは、実の作者ですら気づいてないことに気づいたり、作者が意識していなかったことをきちんと形にしてあげる作業なんですねえ。
その中で重要な位置を占めるのは「禅」の要素。英文学科出身で、卒論が『J.D.サリンジャーの作品におけるイノセンス』だった大江戸としても、これには唸りました。目からウロコでした。竹内氏のあとがきにある「やはりサリンジャーは禅なのだ」と言う言葉に、大いに納得しました。 一方ではこれだけ死を扱いながら、サリンジャーの戦争体験の方には目もくれてないあたりにも驚きました。うーん、やはり小生なんぞとはレベルが違います。おそれいりました。
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