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2022年12月13日 (火)

「国宝 東京国立博物館のすべて」@東博    #国宝展 #国宝東京国立博物館のすべて #東博 #150年後もお待ちしています

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東京国立博物館(東博)で展覧会『国宝 東京国立博物館のすべて』を鑑賞。それほど長い会期ではなかったもので、なんだかんだと行き遅れてしまい、終盤になってようやく予約しようと思ったらもう全日完売。ご縁がなかったものとあきらめていたら、まさかの1週間会期延長!(しかも連日夜8時まで)   今度は販売開始まもなくに予約して、本日上野に赴いた次第。館としてもできるだけ多くの人の願いに応えようとの思いと作品保護の観点と両面から考えて、なかなか大変だったことと思いますが、よくぞあれこれを乗り越えて延長してくれました!と感謝感謝。

日時指定制なのでめちゃめちゃ混んでるわけではありませんでしたが、これ以上人がいると観にくい。いや、場所によってはこれでも観にくい、ってぐらいの混み具合。そこらも多くの人に見せてあげたい、でも作品を観られないようでは本末転倒って中でギリギリの人数を探った末の定員なのだろうなあって気がしました。

広告コピーに「すべて公開。」「史上初、所蔵する国宝89件を公開。」とあるように、東博が持ってる89件の国宝を全部見せちゃうという150年の歴史で初めての企画。もちろん作品保護のため、会期中の展示替えはいろいろ行いますので、一度で全作品を観ることはできません。絵画の目玉も少ないのが、ちょっと残念。長谷川等伯『松林図屏風』や狩野永徳『檜図屏風』などの超目玉は展示が終わっちゃってましたからねえ。『洛中洛外図屏風』ぐらいでしょうか。

そして「書跡」、つまり手紙やら和歌やらの文字を見るための巻物などの展示がやけに多くて、あれって展示としてはかなり地味だし「人を選ぶ」ので、文字への造詣がほとんどない大江戸としては、かなり飛ばし見をしました。

多いといえば「刀剣」セクションもかなり多くて、19作品。まあ展示替えの必要はありませんからね。でもみんな刀身だけで、柄や鍔や鞘がないので、大江戸なんかには「みんな同じ」に見えてしまいます。それにしても、刀って突き詰めれば人を斬るための道具(凶器)なので、それをこのように有難がって「ふむふむ」と鑑賞するってのも、相当変な気もいたします。

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で、この展覧会のユニークな所は、(国宝だけだと平成館の広い展示スペースが余ってしまうこともあり)国宝の展示が終わった後に第2部『東京国立博物館の150年』という展示がついていること。こちらには、重要文化財や重要美術品も数多く展示されており、むしろこっちの方が楽しいし見ごたえもあります。大江戸はかねてより「国宝よりも重文、重美の方がいい作品(自分にフィットする作品)が多い」と思っているのですが、はからずもそれが証明された感じです。なにしろキリンの剥製(今は科学博物館にある)とか安本亀八の生人形まで展示されておりましたもん。

年間展示可能日数の関係で、尾形光琳の『風神雷神図屏風』や菱川師宣の『見返り美人図』などは、「コピー」表示をつけてレプリカを展示しておりました(本会期には、本物を展示していたようです)。

Dsc_12132_copy_1024x625 その『見返り美人』(コピー)と、平安時代の『金剛力士像』が展覧会の最後を飾ります。後者は今年東博に収蔵されたばかりの初お披露目。この二つだけは撮影OKだったのですが、いやー、力士像、さすがの迫力と貫禄です。でかいし。

Dsc_12113_copy_625x836 会場出口と東博外壁には、ご覧のような「150年後もお待ちしています。」のボードが。「いやー、そう言われても、生きてねーし。」と誰もが思ったことでありましょう。

 

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