「ヒトラーのための虐殺会議」:自分はこうならないと言い切れるか #ヒトラーのための虐殺会議 #ヴァンぜー会議 #悪の凡庸さ
映画『ヒトラーのための虐殺会議』は、1942年に欧州のユダヤ人1,100万人の「最終的解決」を決めたヴァンぜー会議の議事録から映画化されたという問題作。正直、映画的にはそれほど優れたものではありませんでした。でも製作した意気と勇気は讃えられてしかるべきだと思います。特に「ドイツ人が自ら」というところ(なぜ日本はこうできないのか?)。
冒頭とラストを除くほぼ全編がある館の中、そのほとんどがある会議室の中という舞台劇のような作品。実際、『十二人の怒れる男』なんかを思い出してしまいましたよ。そして、会議や人間の普遍性と言うものに思いを巡らせざるを得ない映画です。
会議における人々の言動に、普通のサラリーマンや企業の会議を想起してしまいます。登場人物は多かれ少なかれ、あなたであり私であるのです。あの時代のあの状況に放り込まれたら、自分はこうならないと誰に言い切ることができるでしょうか? そこに切り込んだということで、製作した意義は大きいと思います。
でも映画としては、芸がない。まあ実際の会議の再現が目的なので、ドラマチックな誇張は避けているのでしょうけれど、それにしても葛藤も盛り上がりも逆転もクライマックスもなく、淡々と「シャンシャン会議」が、軽食・お茶(人によってはコニャック込みで)をはさみながら行われるのみです。それゆえの底知れぬ恐ろしさってことでしょうね。ハンナ・アーレント言うところの「悪の凡庸さ」ってやつですね。
これって、(たった)80年ほど前のことなんですよね。うーむ。
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