「零落」:創造の魔物 #零落 #浅野いにお #斎藤工 #山下リオ #竹中直人
映画『零落』は、まずタイトルにしびれますね。でもこれは浅野いにおの原作コミックのタイトルなんですけど、昭和文学の香りがします。そして作品は、やっぱり太宰治とか私小説とかの匂いに満ちているのでした。
とにかく斎藤工演じる主人公の「苦悩する創造者」ぶりが見事にハマっています。カッコ良さも情けなさも見事に体現して、この作品世界の中心にいます。そう、この作品は終始「創造の魔物」を描いています。ものづくり(ことに知的クリエイション)における「質」と「売れること」のジレンマ。それに対して、クリエイターとその周辺の人たちがどう臨むべきかという永遠のテーマ。いやー、大江戸は特にクリエイターではありませんが、クリエイター・コンプレックスがあるだけに、かなり刺さりました。この主人公、多くの人にとってはかなり「嫌な男」なんでしょうけど、小生は嫌いではありませんね。大衆に迎合することを良しとしない青臭さ。でもそれって、クリエイションの肝なんじゃないかと思うのであります。みんな、大切なものへのこだわりがなさすぎるよ。
斎藤工のみならず役者たちがみんな素晴らしくて・・・玉城ティナにMEGUMIに(いつもと違う感じの)趣里。でも圧巻なのはアシスタントの富田ちゃんに扮した山下リオでした。ことに後半のすっごく嫌ったらしい役への変貌には、ムカつきながら瞠目しました。そもそも丸メガネをかけて違った雰囲気になっていて、山下リオだと気づきませんでしたもん。エンドクレジットで山下リオの名を見ても結びつかず、映画館を出てからハタと気がつきました。うーん、見事に化けましたね。大江戸の本年の助演賞候補に入ってくるでしょう。
久々に竹中直人監督が良い映画を撮りました。ってか、たぶん彼のベストなんじゃないでしょうか。いかにも日本映画ならではの陰翳を持った作品。そして、ほんの少し石井隆のニュアンスを隠し持った作品でもありました。
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