「白鍵と黒鍵の間に」:終盤の崩壊のハンパなさ #白鍵と黒鍵の間に #冨永昌敬 #池松壮亮 #ジャズ映画
映画『白鍵と黒鍵の間に』は、昭和63(1988)年の銀座を舞台にしたジャズ・ミュージシャン二人(池松壮亮の二役)の物語。というと、クールにカッコ良さげですが、・・・いやー、変な映画でした。
監督は『パビリオン山椒魚』『素敵なダイナマイトスキャンダル』などの曲者=冨永昌敬。この人の作品は常に「飲み込みにくい異物感」みたいなものがあるのですが、本作ももろにそれでした。
時代がねえ、80年代後半って言われても、「そうなの?」って感じ。むしろ’60年代ぐらいのニュアンス(日活無国籍アクション的な)が入ってると思うのですが、そこらは確信犯みたいな気もします。それと、「これ銀座なの?」って感じもありますけど、それを言っちゃあおしまいですかね?
何でか知らないけど、わざとダサくしてますよね。なぜ二役なのかよくわからない池松壮亮もダサいし、松尾貴史演じる銀座のボスもダサい。もっと洒脱にできないもんですかね? そもそもキッチュが銀座一の闇の帝王って、いくらなんでも貫禄なさ過ぎ。この役はもっと重みと怪物性がないと…往年の三國連太郎とか佐分利信みたいに。
終盤のある場面で、映画全体が暴発してとんでもないことになっちゃいます。近年ちょっと見たことがないほどの崩壊ぶりです。「やっちまった」感がハンパないです。こんな怪作だったとは!
やっぱりジャズの映画作るんだったら、洒脱にやってくれないとダメですよね。
| 固定リンク
« 「鯨の骨」:あのちゃんは悪くないけど… #鯨の骨 #あの #あのちゃん #大江崇允 | トップページ | 「まなみ100%」:申し訳ないけど… #まなみ100% #川田ゆめき #いまおかしんじ »
コメント