「八犬伝」:八犬士パートよりも馬琴パート #八犬伝 #滝沢馬琴 #役所広司 #正義で何が悪い #映画八犬伝
映画『八犬伝』は、滝沢(曲亭)馬琴の『南総里見八犬伝』というよりは、山田風太郎によるアレンジバージョンの原作がベース。なので、八犬士たちの講談的、ファンタジー的活躍よりも、物語の作者である馬琴や友人の葛飾北斎および周辺の人々を描くパートの方が惹きつけるような作品になっておりました。
八犬士パートも別につまらなくはないんですよ。でも、作品の構成上、物語がブツ切れになってしまうのが痛い所。しかもまあどうにもこうにも「古い」感覚の物語ですからねえ。そして役者たちが弱い。大江戸にとっても板垣李光人と水上恒司ぐらいしかなじみの役者がいないもんで…。河合優実の役柄もあまりに彼女に合わなくて、彼女としても非常に居心地悪そうで、どう演じたらいいかわからないって感じで、これはミスキャストでした。
それに比べて、役所広司をはじめ演技派のしっかりしたキャストを揃えた馬琴パートは、味があって面白いですねー。ただ、こっちをメインにしても集客は望めないので、難しいところですね。まあ、うまくコントロールしたので、ちゃんとヒットしたってことなんでしょう。
本作の白眉は、馬琴と鶴屋南北(立川談春)が歌舞伎小屋の奈落で妙な体面をする場面。ここで二人の間に交わされる創作の虚と実をめぐるバチバチの会話が、緊張感あふれて圧巻です。この深い芸術論の場面を映画にできただけでも大したもんだと思います。それを受けて、この映画のキャッチコピーも「正義で何が悪い」となっているのですね。
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