東京徒然草 14..眼鏡考
(Written on 06年4月1日)
かつてメガネは「イケてない」ことの記号でした。少女マンガではメガネをかけてる時は自信なさげで十人並の女の子が、メガネを取ったとたん、意外にカワイイ!ってなったでしょ。クラーク・ケントだってメガネの時はダメダメ君で、メガネを外せばスーパーマン!外国人が日本人をマンガにするとメガネで出っ歯だったし、メガネの有名人っていうとお笑い方面の人でした。ところが時代は変わり、「メガネ男子」とか「ガールズメガネ」なんて写真集が出たりして、今やすっかりおしゃれアイテムの地位を確立させています。
その昔、メガネ=コメディアン的なイメージを作ったのはロイド眼鏡の語源ともなったハロルド・ロイドですが、日本でも大村崑とか三木のり平に代表される喜劇人が、面白いメガネの人として活躍しました。その系譜を継ぐのがウディ・アレンでしょうが、アレンのファッションやメガネは’80年前後のプレッピー・ブームの手本とされたように、ニューヨーカー的知性の象徴でもありました。アレンの黒縁とは逆に、'70年前後にはパワーを象徴するメガネとして、キッシンジャーや大橋巨泉のぶっとい黒縁が印象的で、その反語としてジョン・レノンの細いメタルフレームの丸メガネがあったわけですね。
日本ではプレッピーの影響を受け、かつ「ドクター・スランプ」のアラレちゃんのかけてたウェリントン型の体現者として、大江千里が新たにポップな地平を切り拓きました。それまではメガネの歌手ってあり得なかったから(もっとも海の向こうでは’50年代のバディ・ホリーに始まり、エルトン・ジョンやエルヴィス・コステロなどメガネ・シンガーの歴史は続いております)。そこからメガネはファッショナブルな地位を築き上げ、現在は低価格メガネの隆盛もあってメガネを着替える時代となり、トミー・フェブラリー6や眞鍋かをりやヨン様が、メガネ市民権をリードしています。
今後メガネはオーダーメイド化やアート化が進行し、究極的にはメガネをタトゥーで顔に彫って、視力補正は外科手術でって方向に!? メガネ人にとってメガネをしてない顔を見られることは、パンツをはいてないようなもんなんですが、これならいつでも大丈夫だ。
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